試みで得るものについて、考えたときのこと
道具に頼らない感覚
・話をするときなど”人によく見られたい”とき
・集中を要し決めるなどするとき
・よい文章を思いつかないとき、etc.
タバコを吸って気持ちの統一や緊張緩和など、自分に変化をあたえ課題をクリアする癖がいつしか身についています。
課題をしのげ、ていよくクリアできたはよいとして、道具に頼ったものと自分の力でのものと、どちらが鮮やかか、、
金属バットやドーピングでメダルをとれたとしても、そこに自分の求めるものはあるのか?
貯タバコを試みることで試み以前と比べ、タバコに頼る回数はさほど変わっていない。
としても、タバコに頼る度合いは、気ままをコントロールすることで吸う本数が減った分少なくなっている、、
ということは、
その分、”自分の力でのクリアが増えたんだ”と思い、試みで得るものの1つに「道具に頼らない感覚」をいれていました。
”力を得る”と捉えなおすと、
ふと思いました。
”そうじゃない”
むしろ、なにかに頼ることでしか動けない、、
”頼る”とすると少し違う気がするので、”力を得る”と捉えなおして、
食べ物、飲み水、空気、景色。文章、音楽など作品。さらに、おしゃべりなど人からの力を得ることで、動くことができている、、
タバコの力もその1つ。
タバコでのものが減ったとしたなら、その分は他から受けとっている、、
悪いイメージになる要因、、
でも、タバコにはドーピングのようなチートに感じる悪いもののイメージがあります。
食べ物や水を道具と表現すると違和感がありますが、タバコにはありません。
なぜ食べ物や水などはよくて、タバコはチートに感じるのだろう、、
気持ちに変化をあたえる音楽はどうか、、栄養ドリンクはどうか、、
悪いイメージになる要因、、
それは、「自分の力で作った」と感じたいから。
「自分の力で作った」と感じるものとは、できるかぎり自然なもので作ったもの=所々で強くなにかしらの後押しを受けていないもの。
”アフィリエイトをできるかぎり自然なもので作りたい、、”
タバコの力に頼りすぎることは、この思いを無視することになっている。
要所要所で強くなにかしらの援護を受け、即効性をともない本来自分ではできないものができたりする、、
そんな力を借りたのでは、自分の力じゃない、、
とはいえ、なにかしら力を受けないかぎり自分では動けない、、
気づき
- 自然なアフィリエイト、自分の力で作ったと感じるものを作りたい、、と思っている。
- ところが、頼らず自分の力と思っていたものは、勘違い。なにかしらの力を得ている。それが自分の力になっている。
- 自分の力とは、本来自分ができることだけを後押ししてくれる力の助けを受けてだせる力。できないことができてしまうような露骨な助けは受けていない力。
、、力をもらった代わりに生活や身体、人生がおかしくなってしまうようなものに頼っていない力。
得るもの
・規律ある生活リズム
・仕事、日常によい影響
・健康
・タバコへの低出費
貯タバコの試みで得るもの、5つめ。
「自然なアフィリエイト(本数が減った分だけ)」
「道具に頼らない感覚 / 自分の力でのクリア」ではなくて、
「道具に頼らない感覚 / 一応の自分の力でのクリア」
道具=できないことができるようになる、生活や身体、人生がおかしくなってしまうようなもの
自分の力=なにかしらの力を得て成り立つ
なにかしらの力を得ているから力をだせる、それを理解したうえで、自分の力でアフィリエイトを作る。
「タバコはなし」とルールで決まっている競技なら、タバコは金属バット、チート。
あとがき
21’7月から試みをスタートしました。
7月は、”魂の勝負・趣味”ともになし、10本の貯タバコとなりました。
はじめの頃は、貯まっていく嬉しさでモチベーション高く、すんなり3本でやり過ごせました。
慣れてくると嬉しさ・楽しさが弱くなり、我慢の割合が少し上がったように思います。
シケ防止である程度貯まったら日毎のものと交換するのですが、シケっていると味落ちで吸う量が減る傾向にあるので、シケもアリか?など考えたりしています。
お金がなく個人事業をやっていくとき「貯タバコ」は自然な試みですが、文章での表し方の部分においては、アフィリエイトつまり見せ物の要素がゼロではないよな、、
など感じながら、この瞬間もプカプカとくゆらせているのでした。